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ケイタイマン その十

無心
健太がうどん作りに挑戦し始めてから、約二年が過ぎた。
しかしいまだに製品が完成しない。
それどころか、ますます問題点が出てきて健太も弱り気味だ。
最近作ったサンプルは、機械化でき喜んだ。しかしいろいろな人に試食していただくと、問題点ばかり出てくる。困ったもんだ。

健太「なーギンちゃん、もー嫌になってきた」
ギン「何が?」
健太「何がって、うどん作りだよ」
ギン「お前何を言ってんだ」
健太「やってもやっても、人に優しいうどんができない。やればやるほど問題点が出てくる。うどんは、切れ目のところが切れやすいと言われるし。たき過ぎやのに。健常者に食べてもうたら、箸は切れ目に引っかかりにくいと言われるし、もうどうしていいのかわからない。もっとも、このうどんは、器の中で箸でもフォークでも適当に引っかき回してたら勝手に引っかかって食べやすいとは思うねんけど、誰もそのことわかってくれへん。くやしい!」
ギン「お前あほか。何のためにうどん作りを始めたんや?」
健太「そら人のために」
ギン「人のために、それやったらそんな簡単にできるわけないやろ。真理は単純なものや。しかし、その真理を達成するということは大変根気のいることや。えーか、山の頂上へ登ると決めたら、頂上だけ見てたらええんや。ふもとから頂上は、見える。しかし実際登るとなったら山道を歩くわけや。頂上に登ることだけ考えて歩いていれば、しんどいことは何もない。だが、ただ山道を歩いていたらとてもしんどい。ただひたすら頂上を目指せ。ただひたすら人に優しいうどん作りを考えて、努力するんや。作る方法は神様が導いてくれる。無心になれ」
健太「お金もかかる。もうすでにかなりお金つこた」
ギン「そんなこと考えるな」
健太「そーやかって。どないしてお金作るんや、それにアイディアも……
ギン「心配せんでええ。必要とあらば、どんなもんでも神様が用意してくれる」
健太「成功せえへんかったらどうするんや?」
ギン「心配せんでもええ。成功するまでやるんや。死ぬまでやるんや。成功せいへんかっても死ぬまでやるんや。終わりは死だからね。死んだら何もないから、楽になるから、それでいいやん」
健太「お前人のことやと思ってえーかげんなこと言うな」
ギン「人のことやから言えるんや。ハハハ。気楽に行こ」
健太「そうやなあ、このうどん、味はええからな。みんな味だけは誉めてくれる」


一寸先は、闇
健太が、最近いつも思っていることがある。
それは、「一寸先は闇」ということである。
このことわざはよく聞くが、実際のところ平平凡凡と暮らしていると、まったくわからない。健太も平平凡凡と暮らしているが、視力が「一寸先は闇」に近い状態になって、少し意味がわかるようになったようだ。
と言うのも、一ミリでも物の位置が違ってもわからない。現在目の前で起きていることが、まったくわからないのである。そんな世界に入ったものだから、いまだに出口が見えない。
人は心の目とか、目以外のすべての感覚を使うようにとアドバイスしてくれるが、元々鈍い健太には、どうしようもないことである。
また、健太自身が、才能は天性のものだという考えを持っている。もちろん努力で解決することが九十九パーセントだろうが、あとの一パーセントが人に感動をもたらすのである。そして、いいことも悪いことも、「一寸先は闇」という言葉がここで発揮される。
才能のあとの一パーセントは、奇跡がもたらすのである。それは「一寸先は闇」の世界からもたらされるのである。


プラス思考
プラス思考という言葉がよく使われるが、この言葉は言ってみればアクセサリーみたいなものである。
それに比べ、マイナス思考というのは借金みたいなものである。
アクセサリーは、たしかにきらびやかで豪華で美しい。また高価で自分自身の虚栄を満足させるには、とてもすばらしい。
プラス思考という言葉も、響きがとてもよく、どんな人でもいつもそうありたいと思うものだろう。
がしかし、アクセサリーを四六時中身につけてはいないのと同様、いつもプラス思考でいるというのはとても難しい。
借金というのは、ほとんどの人が持っている。家のローン、クレジット、事業借り入れ、教育ローンなど、ありとあらゆる借金がある。そして普段返済ができている間は気にならないが、借金は四六時中あり、お金が詰まってきたときには大きな荷物になる。
アクセサリーはお金が詰まってくると減るが、借金は逆に増える。
しかし人間一生に一度は、借金をする。特に親には、返せないほどの借金をする。
親と生活していると、心配ばかりするのでマイナス思考になりがちである。親と生活したり近くに住むのはありがたいことではあるが、目に見えないしばりがある。
しかしそれは無償の愛であり、親からの借金は天の恵みである。
健太は今、プラス思考でもなくマイナス思考でもないゼロ思考、ニュートラル思考という、健太独自の思考で生きていくことにしている。
悩んでもそれをやめ、神、宇宙の無限の力にすべてお任せしているのである。だから、頭の中は空っぽである。
それが健太にとって一番楽で、楽しい生き方なのだ。


点字
クリスマスパーティーに行く途中。地下鉄の出入口で、やっさんと待ち合わせした。
普段はやっさんは車椅子で移動するが、今日は雨なので松葉杖での移動である。傘がさせないからだ。健太は、やっさんが松葉杖なので気を遣って一緒に行くことにしたのである。

ギン「お前が面倒見てもらうんやあないか?」
健太「おれの肩貸したるから」
ヤス「あほ言うな、危ないわ、健太に肩貸してもろうたら」
ギン「ほんまや。健太は危なっかしいわ」
ヤス「健太、肘持て。あーあ、お前やっぱり杖使うの下手くそやなー」
健太「やかましい」
ヤス「お前、盲人で杖つかれへん、点字知らん言うたら最低やの」
健太「点字、知ってるわ」
ヤス「知らん言うとったやん」
健太「そんなこと言うてへん」
ヤス「おれのおふくろに、『健太はあほやから点字知らんねん』て言うといたのに」
健太「よう言うわ。おれかて一応点字勉強したんや。三ヶ月ぐらい」
ヤス「点字読めても書けるんか?」
健太「当たり前やろ。ちゃんと点字打つ機械持ってる」
ヤス「お前あほやから、点字知らんと思っとった」
健太「失礼な奴や。まーええけど」
ヤス「そやけど、どうして点字わかるんや?」
健太「ようわからん。大体でや」
ヤス「ええかげんやのー」
健太「まーな。おれもこの頃点字ほとんど使わへんからえーかげんや」
ヤス「なんでやねん?」
健太「パソコン使うからな」
ヤス「どういうこと?」
健太「そういうことよ。点字は、知っておく必要はあるけど、健常者には通じないからね。使う人が、ほとんど盲人に限られるということよ。アメリカで、日本語しかしゃべれなかったら困るのと一緒や。アメリカでは、英語がしゃべれなかったらだめだということよ。要は、この世は健常者の社会だということよ。障害者が、できるだけ健常者の社会に馴染んでいかないと生活しにくいし、井の中の蛙になってしまう。それでもよければいいけど。健常者に障害者の世界に馴染んでもーてたら輪が広がれへん。障害者の世界は狭いからね。また 健常者の社会には、多くのチャンスが転がっている。だから楽しい。健常者でもそれを見逃して他人のせいにする人が多いけど。そんな人はどれだけ自分が幸せでもぼやいてる。みんなと友達になりたいなら、過半数の人ができることは、できるようにならないとだめだということだね、どんな方法を使ってもいいから。特にコミュニケーションの方法の言葉はね。だからパソコンは最高だね。とにかく何事も一生懸命しているとできるようになるし、できなくてもみんなが応援してくれる。何事も死ぬまで諦めないことだね」


懐中電灯
ある日、健太と同じマンションに住んでいる住人が、健太の両親の部屋を訪ねた。
健太は会社へ行っていたので、健太のおふくろさんが応対した。その夜、健太は七時過ぎに帰宅した。

健太  「ただいま」
おふくろ「お帰り。今日、上田さんが来はったよ」
健太  「ふーん。どうしたん?」
おふくろ「食事しながら話すわ」
健太  「わかった」

その後、健太は服を着替え、みんなで食事し始めた。

健太「上田さん、どうしたん?」
おふくろ「上田さん、和歌山に家建てたらしいわ」
健太「そうや、去年の夏たしかそう言ってた。建築中やとか。それでできたんやな」
おふくろ「そうや。できたみたいやで」
健太「よかったやん。それで、どうしたん?」
おふくろ「それで今からそっちへ行くと言ってきたんや。とりあえず一週間行った後、春にはあちらで暮らすみたいや」
健太「よかったやん。あっちにはクルーザーも持ってるし、ええやんか。釣り三昧やな。おまけに温泉はあるし、隠居暮らしやな」
ギン「そうやな。六十歳では早すぎるけどな」
おふくろ「春になったら、健太迎えに来て連れていったるて言っとったで」
健太「そーや。去年の夏、そう言っとった。ありがたいなあ」
おふくろ「健太はええな。みんなにかわいがってもろうて」
健太「ほんまや」
おふくろ「それでな、記念に健太に手作りのポケット懐中電灯を、持ってきてくれたんや。マッチ箱サイズやで」
健太「えー、それどういうこと? 僕見えへんのに」
おふくろ「どうしてかわからんけど。エルイーディーの最新式やで。小さくて明るいわ。健太に役立つかどうかわからんけどと言いながら、使ってくれってくれはったんや」
健太「なんぼ明るいって言ったって……。まあ上田さんいつもメールしてくるとき、添付ファイルで、釣った魚の写真送ってくるけど」
ギン「見えてへんと思てないんや。ええやん。健太お前、心が暗いとき、そのポケットライトで自分自身を照らしてもらえ。手作りで心がこもっているから、さぞ明るいで」
健太「そーや、そうしよう」


夜明け前
ある週末、健太は久しぶりに北港へ行った。
いよいよオーストラリアでのレースが近付いてきたのだ。
今日は、叔父が来てボランティア。その叔父が、ヨットを用意するときに落水し、びしょぬれになった。

ギン「どうなっているんや、健太の叔父さんは健太とは違って、運動神経発達してるのに」
健太「わからん。それにしても相当寒そう」
ギン「そらそうや、まだ三月になったばかりやで」
健太「そやな。今あったかいシャワー浴びに行ったから、なんとか身体暖まるわ」
ギン「よかった。着替え持って行ってあげ」
健太「わかった」
本田「こら朝からどうなってるんや」
健太「わからん」

そして練習が始まり、それぞれ課題をこなした。
健太は、久しぶりでなかなかカンが戻らなかった。それでも、練習の終わりの頃には少しは慣れてきて、ほっとした。
ヨットから降り、健太はおれとしゃべりながら桟橋に立った。

健太「再来週にはオーストラリアや」
ギン「そやな。今度で四回目やで」
健太「今日も無事練習終わった」
ギン「よかったな」

そして白杖をつき、四、五歩歩いて立ち止まり、一息。また白杖をつこうとしたその瞬間、健太は白杖ごと、海の中へ落水してしまった。白杖をついたところが、海の中だったのだ。
「誰か!」健太は大声を出した。すぐ助けに来てくれたので、健太は助かった。がしかし、ギンがなくなってしまった。
「ギン、ギン、ギン……。どうしようもない、バカヤロー!」
健太は、自分自身を怒鳴った。呆然としていた。ボランティアの小春が、声をかけた。
「健太君、シャワー浴び」
健太は我にかえって、すぐ暖かいシャワーを浴びた。そしてその後、服を着替え、温かい紅茶を飲んだ。皆さんのおかげで、健太は助かった。よかった。

本田「今日は、どうなってるんや。叔父さんは落水するし、健太まで落水や。健太、携帯電話は諦めよ」
健太「しゃあないな」

しかし、健太は心の中でギンに手を合わせた。
すまんギンちゃん。
だけど何の反応もなかった。悲しかった。
本田さんが、「健太、障害者で落水第一号や。健太が見えへんこと証明されたしよかったやん」と言ったので、みんな爆笑。健太もその言葉を聞いて少し気がまぎれた。
夕刻、叔父の家で秋田から来た健太のブラインドの友達、田岡さんと食事をご馳走になった。
その後、大阪駅まで田岡さんを送り、家に戻った。

健太「ただいま」
おふくろ「お帰り」
健太「今日はとんでもなかった」
おふくろ「どうしたん?」

健太は、昨日から今日にかけての出来事を話した。おふくろさんは、健太が無事に帰れたことを喜んだ。その夜、健太はすぐに床に入った。そして、疲れてすぐ寝てしまった。

午前二時頃、「健太、健太」と呼ぶ声がした。

健太「えー、誰?」
ギン「おれや。ギンや」
健太「えー? 姿見えんやん」
ギン「そらそや。おれ魂だけおまえの目の中にしがみついたから」
健太「えー! よかった!」
ギン「おれは、もうおまえがおれの存在に気付いてから、どこにでもおまえについていけるようになったんや。おまえには言えへんかったけど。だけど新しい携帯買ってくれよ。携帯が一番居心地ええから」
健太「わかった」

健太とギンが一心同体になった瞬間だった。それから明け方まで、二人は話しこんだ。
カーテン越しに朝日が射した。光が健太の目を、優しく包みこんだ。健太の目に涙が……
さわやかな一日の始まりだった。
神様、この世に存在させていただいてありがとうございます。
健太もギンも手を合わせた。

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