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ケイタイマン その三

フランス語
オーストラリアのヨットレースへ健太が行ったときのこと。
健太と同じように、目の不自由な日本人青年が母親と一緒に参加していた。
パーティのとき、それまでおとなしかったお母さんが、踊ってリラックスし始めた。そして、「英語はわからない」と尻ごみしていたお母さんが、フランスから来られた方と席を同じにするやいなや、流暢なフランス語でしゃべり出したのだ。ほんまにすごい。
それにしても、フランス語って、歌を歌っているみたいやなー。
みんなこれには、びっくり。「健ちゃん、私昔フランスにいたからフランス語はわかるのよ」と、そのお母さんはにこにこしていた。人それぞれ特技があるものだなあ。
健太、お前の特技は、酒飲むこととみんなに世話かけることか?


感動
オーストラリアのヨットレースのパーティーでのこと。
いろいろな障害を持っておられる方が、車椅子や片足で踊っていた。
ほんまにすごいで、健太には見えてへんけど、見えたらこの場面にはびっくりするで。特に山ちゃんは、松葉杖を天井にかざし、踊りまくっていた。おまけに「英語はしゃべれない」と言いながら「ローハイド」を英語で歌った。きわめつけは、ルーシーがお父さんのピアノ、お姉さんのフルートの伴奏で、トランペットで「セーリング」を演奏したことだ。
ルーシーは、両手がなく足は片足だけ、その足に指は三本だけという大きなハンディがある。
演奏している間、会場は、静まりかえった。ほんまに静かやった。みんな、驚きで声も出なかったんやろう。演奏が終わった後、会場は拍手の渦だった。健太の見えない目から、涙が出ていた。足の指でキーが押せるように改造してあったとはいえ、驚きであった。人間の潜在能力のすごさを感じさせられた。感動以外のなにものでもなかった。健太は、ヨットレースをしに来ているのではない、エネルギーをもらいに来ているのだ。日本でもこんな感動があればいいね。おれら携帯電話社会でも、こんな感動がほしいね。
世界は広い。健太、お前も人に役立つことを探せ。

オーストラリアで
同じく、オーストラリアへヨットのレースをしに行ったときのこと。
健太とボランティアのジョージは、スーパーへぶらりと散歩の途中、歩道にスーパーのカートが放置されているのを見つけた。
ジョージ「マナー悪いな。持っていってあげよう」
健太「そうですね」

二人はスーパーに着くと、買い物を始めた。ビールまで買って、カートいっぱいの荷物。
それにしても、オーストラリアの商品は、どれも一つ一つの袋が大きいな。こりゃあ大変だ。

ジョージ「カートを借りたまま帰るか?」
健太「そうしよう」

何が「そうしよう」だ!
ホテルに着いて二人で爆笑してしまった。カートをスーパーに返すつもりが、ホテルまで持って帰ってきてしまったのだから……。何をしていることやら。
それにしても、カートの中はビールとアテでいっぱい。
——
まったく、オーストラリアへ何をしに来ているのだか。


夕陽
オーストラリアで、パーティーに行く途中のバスの中。
ボランティアの小泉さんが、「健太、今、お日さんが沈むとこや。とてもきれいで……」と言った。

健太「夕陽か……
ほんまにきれいやわ。こんなとこに住めたらええわ。

小泉「健太に見せたりたいわ……
健太「目に映像が映るみたいやなー」
小泉「想像できるか? 健太にほんま見せたりたいわ」
健太「うん……脳裏に映るわ」
小泉「しゃーけど、かわいそうやなー、このシーンが見えへんのは……
健太「そんなことないで、僕らまだ想像できるから幸せやわ」
小泉「えー? どうゆうこと?」
健太「僕は、二十二歳くらいまでは、普通に見えてたんや、その後発病したんや。三十二歳ぐらいで今の状態になったんや。いわゆる中途失明や。しゃーから、色は想像できるし、夕焼けは、わかる。しゃーけど、生まれつき目の不自由な子には、想像つけへんやろなー……
小泉「ふーん……
健太「だから、僕は幸せや」
小泉「そーか……
健太「いつも僕の健常者の友達に、『おまえは中途失明やから、物が理解できるし想像できる』て言われるんや。『しゃから健常者と一緒に仕事できるはずや』て言われるのや。言い訳したら、しばかれるねん」

おまえ、文太さんに、いつも『もっと努力せー』って怒鳴られとるなー。
健太「だから、言い訳でけへん。みんなと一緒に遊びたいからな……
小泉「ええ友達持ってええな、健太は。みんなと対等や。夕陽が目に染みるわ……


目からウロコ
オーストラリアでのレースの前日の練習中。
健太は練習をするために身支度をし、船の用意ができるまで三十分程度テントで休息していた。そこへ、サムが船の用意ができたと言いにきた。彼は片足がなく義足だが、オーストラリアで障害者のヨット普及に努めるボランティアをしている。誘導用の無線がまだないので、ボランティアのゆりちゃんと二人でヨットに乗る。健太のやつ、女性と乗るときはほんまに嬉しそうな顔しとるなー。
二十分程度経ったところで、サムから戻るように指示される。岸にたどり着いて船から降りたところで、サムが「健太、ピーターさんと黄色い帆のヨットに乗れ」と指示をした。これが、健太を大変驚かせることになった。

健太「ピーターさんと? エー! 彼は、たしかブラインドじゃあなかったか?」

そうだ、たしかにそうだ。こりゃあえらいことになった。
健太の奴、ピーターと乗れって言われたときの顔ってなかったで。しかめっ面して、泣き出しそうな顔しとった。そらそうやわなー。盲人二人で誘導無線なしでは操縦できんわな。
ピーターは、毎年出場しているオーストラリアのブラインドだ。健太は、彼とはよくしゃべっていたので知っている。健太は一年ぶりの彼との再会に大喜びだった。
ブラインド二人で、ジブセールのある二枚帆のヨットに乗りこんだ。二人のヨットは、水面を滑り岸を離れた。不思議な世界が広がった。誰からの指示もなく、ヨットは走った。
これはどうなっているのだ? 何も見えていないのに、ヨットはピーターの指示通りに自由自在に走り出した。

ピーターがゆっくり口を開き、しゃべり出した。
ピーター「健太、太陽の暖かさを感じるかい? 影は、風は、どうだい? 帆がしゃべるのが、わかるかい?」
健太「帆がしゃべる? なるほど風に上りすぎたらパタパタ言うな。それがトークか?」
ピーター「健太、音声ブイは聞こえるかい?」
健太「これはすごい!」

目の見えない人の練習用に、三つのブイにそれぞれ違う音声を発する仕掛けがしてあるのだ。ボランティアの人も大変や。なんとか障害があってもヨットに乗れるように、工夫してくれてるんや。そんな皆さんの陰の努力を忘れるな。
しかし、この音声ブイを利用して練習するのは初めての健太にとって、音がなくなったり近づいたり離れたり、いろいろな音が交わったりするものだから頭が混乱してしまった。
ピーターは身体のすべての能力を使い、自然を味方に自由自在に操船した。健太は本当に驚いた。
健太「こりゃあすごいわ。いい経験をさせてもらった」

健太はピーターと二時間程度練習させてもらった。
ヨットに乗っている間、ピーターといろいろな話をした。身振り手振り、とはお互い見えないのでいかないが、何とか片言の英語で会話した。
健太、お前の英語、ほんまに通じるのか?

ピーター「健太君はいくつだい?」
健太「四十三歳だ」
ピーター「ヨットをやり始めて何年だい?」
健太「三年だ。発病して二十年、目がこの状態になって約十二年ぐらい」
ピーター「そうだろう。私は、今五十四歳だ。ヨットは九歳からやっている。五歳からブラインドだ」
健太「だけど、そんな幼い頃にはこの障害者用のヨットは、なかったじゃあないか?」
ピーター「そうだよ、だから普通のヨット、クルーザーなどに乗っていたんだ」
健太「そりゃあすごいわ」

健太とは、環境、背景が違いすぎる。

ピーター「健太、君がヨットをやりだして、まだ三年なんだから仕方がないよ」
健太「そうだな」

三年も乗ればもう少しうまくなるはずだけど……
おれは、お前がヨットハーバーで練習もせずに、ビールばっかりくらっていたことを知っているんや。練習にほんまに、身入っとったか?
健太はピーターとそんなやりとりをしながら、練習した。ピーターと練習させてもらって本当によかったと思った。オーストラリアに来た甲斐があった。目が見えないという言い訳はしないぞと思った。健太の目頭が熱くなった。
健太は桟橋に戻って、ピーターと握手した。ピーターありがとう、目からウロコだった。
……
見えへん目にもウロコがあるのかわからんけれど。
桟橋には、北港ヨットクラブの面々が迎えに来てくれていた。本田さん、山下さん、沢村さん、山崎さん、川田さん、小泉さんと、後発隊だ。健太はみんなの声を聞いてほっとした。何かオヤジが、来てくれたみたいな気がした。
健太、おまえ、ヨットから降りるとき、本田さんにしがみついとったなー。

健太「嬉しかった」
本田「健太、いい経験できたなあ。よかった、よかった。さあ、ジョージと本番練習や」

それにしても、健太はおれがため息が出るほどいい人に恵まれているなー。
携帯電話の社会では、みんな同じ程度の能力なのでこういった感動はないね。おれたちは、能力が劣ったり、壊れたら使い捨てだもの。


無線交信
健太は、いつもヨットに一人で乗って練習レースに出場している。その際、目の代わりに無線を利用して、ボランティアの方と交信しながらヨットを操縦している。
オーストラリアのレースの前日練習で、「健太、本番練習だ、頑張れ」とジョージに声をかけられた。

ジョージ「身支度は、オーケー?」
健太「オーケー」

昨日の酒残ってへんやろなー? 二日酔いでヨットに乗ったらあかんで。
ヨットに乗りこみ、気合十分。無線をつけ、いよいよ発進だ。

ジョージ「エッチの健太、エッチの健太聞こえますか?」
健太「すけべいのジョージ、すけべいのジョージ聞こえますよ」

ヨットは帆にいっぱいの風を受け、桟橋を離れ走り出した。最高のコンビネーションで、自由自在に風と友達になり、走っている。
健太のやつ、練習のときはええ走りしてるなー。大会本番のときもこんな走りせーよ。
ところがである、桟橋で見ていたボランティアの夏子は、腹をかかえて笑っていた。同じくボランティアのゆりちゃんが夏子に聞いた。

ゆり「何を笑っているの?」
夏子「エッチの健太? すけべいのジョージ? 一体それ何?」
本田「掛け声だよ」
夏子「掛け声って?」
本田「無線交信の場合、最初の声が途切れるので掛け声を入れるんだよ」
夏子「本当ー? 健太は本当にエッチですけべいじゃあないの?」

今さら何を言ってんだ、健太は酒好きの女好きだ、知らなかったの?
だけどおれの声が聞こえたら、健太はどんな顔するかなー?
健太が練習している間、夏子はほかのボランティアとそんなやりとりを酒のつまみにしていた。そうとは知らずに、健太はヨットから降り、桟橋に這い上がってきた。そのとたん、夏子は「エッチの健太、エッチの健太」と嬉しそうに声をかけてきた。健太は、「恥ずかしいやん。オーストラリアやからええけど」と言って笑った。
「健太にも恥ずかしいという感情あったの?」
そんな会話をしながら、テントまで夏子に手引きしてもらう。
オーストラリアにいる間中、「エッチの健太、エッチの健太」と言いながら夏子は手引きし面倒を見てくれた。健太はおかげで、本当に自分がエッチになったように洗脳されてしまった。

健太「まーいいか。大人はみんなエッチだから」

ようわかってるやん。素直、素直。


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