keitaiman

ケイタイマン その一

ギン
おれの名前はギン。
今では誰もが持っている携帯電話である。

おれのご主人は健太。
おれをいつも胸ポケットに連れている。寝るとき以外はいつも一緒。
たまに忘れられて彼が困っていることがあるが、おれには口がないので、何もおれの意思は伝えられない。でもしゃべれないからこそ、あるがままを見られる。犬や猫のように動物ではないので、彼はおれの存在にも気付いていない。ただ便利な道具として、おれを扱っているようだ。でもおれは、自分は彼の一番の親友であり、「彼女」のような存在であると思っている。いつも彼のあるがままを、見つめている。そんなおれに、気付いてほしいと思ってペンをとった。

この物語には人種、障害者、健常者のことがざっくばらんに書かれているが、おれは人間ではないので何の他意もないし差別区別もない。もし誤解をするような表現があったらゴメン。人間社会以外では、差別区別はないのである。あるがままそのものなのである。ただ、おれは健太との楽しい生活と、おれと健太の面白い関係を皆さんに紹介したいだけだ。
またここではっきり申し上げておくが、ここではあくまでも健太が主人公であり、おれはあくまで健太のパラサイトである。おれは、健太なしではこの世に存在できないのだ。

おれのご主人は、少し変わっている。
まだ中年だというのに杖をついている。それも白くて、少し長いものだ。普通は、もう少し短く太いものだと思うのだが。またその杖を右左に振りながら歩いている。どうも目が、見えていないみたいだ。おれには元々人間と同じ機能がないので、「見えない」という意味がよくわからない。ただ、目が不自由ということは、彼にとってはかなり大変なことのようだ。
しかし彼も勝手な人で、一日のうちほとんどは、そのことを忘れているようだ。周りの人も、彼の目が見えないことを忘れて身振り手振りで彼に話し、彼もそれに頷いている。おれからすれば、あほである。しかしながら、おれの主人であるから仕方がない。

今、おれの兄弟仲間は世界中にいて、ありとあらゆる情報を手に入れることができる。
人間はおれたちを利用しているつもりだが、実際のところ多くの情報がおれたちのところで闇に消されている。おれたちは、その闇の情報を知り、いろいろな思いを小さな体に溜め込み、かなりのストレスを感じている。また最近は「メール友達」などというものが、社会現象、社会問題にまでなっている。おれたちの存在が人間社会にもたらした影響は、大変なもののようだ。経済、文化、情報などありとあらゆる分野……

あー、電話。
ちょっと、おれのことはおいてご主人の仕事をしよう。

熊「もしもし、健ちゃん? 今日の約束オーケー?」
健太「オーケー」
熊「六時三十分でいい?」
健太「いいよ」
熊「それっじゃあ、その時」

なんだ、熊ちゃんだ。また、飲みに行く約束か?
熊ちゃんは健太の友達のなかなか冷めた奴で、健太みたいに何の考えもなしにしゃべる奴にとっては、刺激になっていい。最近、健太は熊ちゃんとよく飲みに行くな。
あー、また電話。

本田「もしもし、健ちゃん、今いい?」
健太「いいよ」
本田「今週末は、どうしてるの?」
健太「いやまだ何も決めてないけど」
本田「鍋パーティーでもするか?」
健太「いいですねー。ふぐでも持っていきましょうか?」
本田「それいいね」
健太「決まり。土曜の晩に、それじゃあ」

なーんだ。また飲み食いの話か? 今度は、ヨットバカの本田さんだ。
また、週末泊まりがけでヨットハーバーへ行くつもりなんだ。みんなにまた世話かけるのに。
おれの主人は、遊ぶ話ばかりだなあ。
午後二時三十分過ぎ、健太は今度は商談を始めた。
いつもの相手と、他愛もない話をしながら、自分のペースで話している。
彼はマイペースだから、本当に何も考えずにしゃべっている。それが彼の信念でもあるようだ。考えてしゃべると、どうも既成概念が入ってしまうみたいで、そのことが彼は嫌みたいだ。いつも頭の中を空っぽにしていたいらしい。
もっとも、もともと頭に大して詰め込まれていないと思うのだが……。まあいいか。


ある朝
健太は、いつものように土手を歩いて通勤中。
土手の真ん中を、王様みたいに歩いていた。
気持ちいいなー。土手は、広々と気持ちいい。まわりは民家や自動車で、ゴミゴミしているけれど、ここは風がまわって空気がきれい。健太は気付いていないが、ブルーテントの多いこと。

あー危ない!
犬 「キャン!」
健太「ごめん」

犬に、日本語で謝ってわかるのか? どうやら知らずに犬を蹴飛ばしたみたいだ。
不思議なことに、犬は、蹴飛ばす前も、蹴飛ばした後も、一回キャンと言っただけで吠えようとしなかった。
おれははらはらしているのに、健太は何食わぬ顔。犬のほうが、賢くて大人だねー。


ある夕方
健太は、会社から帰宅途中、マンションの玄関で声をかけられた。
アー、よく見かけるおばさんだ。
おばさん「すみませんが、あんましていただけませんか?」

健太は、首をかしげながら、
健太「すみません、私には、その技術はないのですが……
おばさん「いつも朝、通勤しているじゃあないですか?」
健太「ごめんなさい、それとは違う仕事をしているんですよ」
おばさん「それは、失礼しました」

あーあ。黙って行ってあんましてあげればいいじゃあないか。
ちょっと下手くそだなあーと思われるぐらいですむじゃあないか。いつもあんましてもらっているから、見様見真似でできるのに。人は、既成概念で物を見るのに。


ある晩
ある会合の、二次会で。十名ほどで、ぶらぶらとラウンジへ。
それにしてもこの辺、飲み屋ばかりやないか。

文太「健太、おれが手をひいてやろう」
仲間内の大将の文太さんが手を貸してくれた。数十メートル歩いたところで、健太が「危ない! 左に寄って、カンバン当たるから!」と声を上げた。
オーケーオーケー、健太、うまいこと難を逃れた。

文太「おまえ見えとんか」
健太「右端の、右下、ほんの一点だけ」
文太「ほんまか、嘘つくな」
健太「ほんま」
みんな爆笑。あーあ、もうちょっと要領よく言えばいいのに。
要は、危険を感じとってるだけやのに。


ある週末の、昼下がり
今日は健太がおれを一緒に連れて行くのを忘れた。おれも久しぶりにのんびりできる。
ももちゃんは、おれの彼女。彼女もおれと同じ携帯電話仲間である。日中デートするのは久しぶりだ。

ギン「ももちゃん、このごろご主人様はどうしてるの?」
もも「メールにはまっているみたい。高校生とOLと大学生、全部で三人! だから、大変。電話代も高くつくし、奥さんからにらまれているみたい。だけどちゃんと自分の身分は明かしてあるみたい。奥さんが怖いみたいだから。だけどこの前、奥さんに内緒でOLの人と会っていたわよ。食事しただけだったけど。要はみんな淋しいのよね。お互い人生相談していたわよ。彼氏のことや、仕事のこと」
ギン「おれのご主人は、おれを通じてのメール友達はいないみたいだ。だっておれはしゃべれないし、主人は目が見えないからメールが読めないだろ? だけど最近、声を出してメールを読むやつが誕生したみたい。でも、主人はおれが気に入っているみたいで、まだおれを使っていてくれるみたい。その代わり、パソコンのみっちゃんを使ってメールのやりとりしているよ。みっちゃんとも話するけど、いろいろあるねー。……ももちゃん、チュしたいネ」
もも「何を言っているのよ、真っ昼間から」
ギン「そうだけど……
もも「それに私たち、肉体がないのよ、血も通っていないのよ」
ギン「そうだけど、おれは、チュしたい」
もも「投げキスしてあげるわよ」
ギン「ありがとう」
 ……チュ。
ギン「あれ、物音がする。それじゃあまた」


近ちゃんの通夜
健太の友達の近ちゃんが亡くなってしまった。
ガンではあったが、彼が死ぬとは思わなかった。昨日まで仕事をしていたのに。「おれはガンだ」と言って、いばっていたのに。
健太は仲間二十人ほどで通夜に行った。みんなボーゼンとしていた。家族の方は、覚悟していたみたいだった。
帰り道、健太は仲間数人で飲みながら近ちゃんのことを話していた。よく飲み、やんちゃな人だったなあと、みんなが……

飲み屋を出て、タクシーに乗りこむときにはたと気付いた。
健太 「この店に来た四人のメンバーは、近ちゃんと一緒にタイ旅行に行ったメンバーだ!」
みんな「そうだ、そのとおりだ!」

みんな、顔を見合わせた。射撃、パラセール、ジェットスキー、目の不自由な健太もすべてやらせてもらった。健太は、射撃などはそこにある拳銃をすべて触らせてもらい、的の位置を教えてもらいながら撃った。パラセールのとき、みんなびびっていたなー。健太がどこへ落ちるかわからなかったからね。
近ちゃん、いい思い出ありがとう。
人間社会は、いいよなあ。感動があるから。


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