・あっちこっちの天神さん

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露天神社 (お初天神)
大阪梅田の繁華街・曽根崎にある露天神社(つゆのてんじんしゃ)、というより「お初天神」と呼ぶ方が一般的な感じがします。今では大都会のど真ん中にあって繁華街に位置する社からは想像しがたいですが、創建はかなり古く1300年の歴史を持つ古社です。その頃の曽根崎は、曽根洲と呼ばれた大阪湾の中州の島だった頃。当初は「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り、「難波八十島祭(なにわやそしままつり)」旧跡の一社として創始したと伝えられているという。
「露天神社」と称する由縁は、901年(昌泰4年)、菅原道真が太宰府(筑紫)へ左遷される途中、
大融寺(大阪市北区)に参詣し、そこで詠んだ歌「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」にちなんで付けられました。(菅原道真公が合祀されたのは、1622年(元和8年)、大阪夏の陣で焼失した社殿再建のおり、相殿に合祀された)
その後、南北朝時代(鎌倉時代末期~室町時代初期)、渡辺氏一族の渡辺十郎源契や渡辺二郎左衛門源薫らがこの地に移住し、農業を起こして曽根崎村として開拓し、露天神社は曽根崎村の鎮守の神として祀られていくようになったという。そして1703年(元禄16年)、境内で実際にあった心中事件を題材にした
近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」、そのヒロイン「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのはご存知の通りです。今では学問の神様・天神さんであると同時に、恋愛成就の神様としても親しまれている感じがします。キタの繁華街とビジネス街にも接し、ビルに囲まれた賑やかな場所。お参りする人、行き交う人も多く、神社でありながらどことなく華やかな雰囲気も漂っています。


神牛さん
天神さんには「牛」はつきものですが、この神牛舎にある「神牛さん」は、体の悪いところと神牛を交互に撫でると身代わりになって、病を治してくれるという信仰があります。


露ノ井
社殿直下にある古くからある井戸。当時真水の少ない大阪の地にあって、数少ない清水が湧き出る名井「露ノ井」として、行き交う人々の貴重な水源であったといいます。社名由来のひとつでもあり「浪速七名水 神泉・露ノ井」として「御井神」「祓戸四柱ノ大神」が祀られています。


表門・参道
露天神社の門は、南側・北側・西側の3つ。南側が表門の鳥居で、昔の参道にあたる場所でした。ちょうどその参道にあたる場所に、梅新第一生命ビルが建っていますが、参道部分はピロティ空間として自由に通り抜けが出来るようになっています。北側の裏門は、ちょうど繁華街に接していて、両脇をビルに挟まれた格好に。西側は、交番の真横に近代的なデザインの鳥居があります。


太融寺 (大阪市北区太融寺町)
821年(弘仁12年)、弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建された高野山真言宗の寺院。大阪城落城で自刃した淀君のお墓も、1877年(明治10年)に境内西北隅に淀君神社より移祀されています。


近松門左衛門の墓 (大阪市中央区)
谷町7丁目交差点の南にある近松門左衛門の墓。郵便局の入っているマンションとガソリンスタンドに挟まれた狭い路地を入ったところにあります。もともとこの場所には法妙寺の境内にあったらしいのですが、市街に移転したため、お墓だけがここに残っています。※近松門左衛門...江戸時代の人形浄瑠璃・歌舞伎の作家。代表作に「曾根崎心中」「冥途の飛脚」「国性爺合戦」「心中天網島」など。1653年(承応2年)〜1725年(享保9年)


久成寺のお初さん墓所 (大阪市中央区)
近松門左衛門の墓があるところから少し南、谷町9丁目交差点の北側にある久成寺。寺の門前に「曾根崎心中 お初墓所」という石碑が置かれています。


ちょこっと年表
901年 菅原道真が太融寺に参詣
1653年 近松門左衛門、生まれる
1703年「曾根崎心中」