・あっちこっちの天神さん

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福島天満宮
菅原道真が太宰府左遷の途上でこの地(現・大阪市福島区)に立ち寄り、地元の徳次郎が旅情を慰めたことをたいへん喜ばれ、餓飢島と呼ばれていたこのあたりを福島と名づけられました。そして後年、菅原道真が大宰府で失意のうちに死亡したのを聞いた里人らが、小祠を建てたのが起源とされている。以降、福島には「上の天神」「中の天神」「下の天神」が創始されたが、現在は上の天神としての福島天満宮と、下の天神としての天神社が残っています。現在の大阪湾近くのこの一帯は、当時、淀川の河口に数多くあった三角州「難波八十島」があり、福島もそんな島のひとつ。瀬戸内海への出発地としても使われ、鎌倉期以降この地に福島庄が開かれ、江戸時代には新しい土地が造成されていきました。


天神社 (下の天神)
菅原道真と少彦名命を祀っています。
(大阪市福島区玉川1丁目4-5
)


中の天神跡
「中の天神」は、第二次世界大戦の空襲で建物を消失したため、現在の福島天満宮である天満宮上之社(上の天神)に合併・合祀されました。下福島公園横の北東角に「中の天神跡碑」が建立されています。
(大阪市福島区福島4丁目)


下福島公園
「中の天神」があったとされる一帯は、今では下福島公園となっています。このあたりはフジの名所としても知られており、足利義詮や豊臣秀吉がフジ見物に訪れたという。


逆櫓の松址碑 (さかろのまつあと)
天神社近くにある逆櫓の松址碑。「平家物語」逆櫓の段によると、1185年、平家を討つため摂津国の渡辺・福島から四国へ急襲しようとしていた源義経と梶原景時が評議していたと伝えられている場所。「舟を前後に動かせるように、船尾の櫓を船首にも付けて逆櫓としてはどうか」と景時が進言したが、義経は「最初から退却のことを考えていたのでは何も良いことはない」と反論し、逆櫓論争として意見が対立したという。この地に、樹齢1000年を越える松が生えていたことから「逆櫓の松」と呼ばれていました。


菅公聖蹟二十五拝・MAP
数多くある天満宮の中から、京都から九州まで、実際に菅原道真と由緒の深い25社を選んで「菅公聖蹟二十五拝」とし、二十五社巡拝の風習がありました。(福島天満宮HP参照)


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ちょこっと年表
901年(?) 菅原道真が福島を訪れる
1185年 平家追討のため、摂津国に源義経の軍が集結
1192年 源頼朝、征夷大将軍任命(鎌倉幕府)